「精神医学の社会的基盤」第3回研究会報告
今年度から始まった科研費による「精神医学の社会的基盤」研究会の第3回が、2016年8月10日(水)、東京大学駒場キャンパスにおいて開催された。今回は「オープンダイアローグの思想的基盤 (2) 」として、矢原隆行氏(広島国際大学)が「オープンダイアローグのコンテクストとしてのリフレクティング」と題する講演を行なった。
はじめに、矢原氏は、ノルウェーの精神科医であるトム・アンデルセン (1936-2007) の生涯を紹介し、彼がリフレクティング・プロセスを生むに至った経緯を整理した。医師として働き始めた当初から、アンデルセンは理論家であるよりは実践家であった。病院を出て地元のプライマリ・ケアと連携した彼は、病院ではなく地域のなかで患者と接する重要性に気づく。そして、彼は家族療法に取り組み、ミラノ派から影響を受けるが、患者の客観的な観察に徹するミラノ派の姿勢に疑問を持つ。家族に言うべきことを考えるとき、なぜ専門職は部屋から出て行くのか? なぜ、その場にいて家族に聞こえるように話さないのか? このような疑問を覚えた後、数年間の逡巡を経て、リフレクティング・チームが誕生する。専門家が、患者を含む家族から見られる側に立った。すると、従来の方法では何度くり返しても改善しなかったのに、家族が途端に笑顔になり、前向きな話をするようになった。
次に、矢原氏は、リフレクティングとオープンダイアローグの係わりについて述べた。たとえば、アンデルセンはヤーコ・セイックラと協働して、これら双方の実践を用いるチームの国際的ネットワーク (International Meeting on the Treatment of Psychosis) を形成した。また、実際の現場において、双方の実践には共通点がある。それは、垂直性とも水平性とも対置される、諸関係を横断する「斜め性」の動きが求められるという点である。一般に、リフレクティングやオープンダイアローグは、医師と患者との関係の垂直性を排した、みんな平等の水平性を意図していると思われるかもしれない。しかし、それは違う。構造が必要である。ただ専門職と患者が輪になってフラットに話すだけでは、リフレクティングの効果は発揮されない。専門家同士の話し合いを家族が観察し、その逆も経て、お互いがお互いの会話について会話するという過程を数往復して初めて効果が現れる。
なお、双方の実践には共通の懸念もある。それは、両実践が単なる新奇な会話の形式・技法として消費されてしまうことへの危惧である。まだ現在の日本では、精神科医療の新しい取り組みとしてオープンダイアローグがあり、その会話の技法としてリフレクティングが使われている、といった程度の理解しかないかもしれない。しかし、この実践の威力は医療現場に尽きるものではない。たとえば、日本ではほとんど知られていないが、スウェーデンの都市Kalmarでは、刑務所におけるリフレクティング実践が効果を上げている。
最後に、矢原氏はリフレクティングを理論的に吟味し、二様のリフレクティングを区別した。すなわち、リフレクティング・チーム形式でなされる狭義のリフレクティングと、会話をめぐる諸関係のコンテクストを問い直し続けるという意味での広義のリフレクティングである。この二様のリフレクティングと、それに照応した二層の現実構築が、日本におけるオープンダイアローグの展開へ示唆を与えるであろうと言い、矢原氏は講演を締め括った。(報告:大内良介/東京大学大学院総合文化研究科修士課程)
「精神医学の社会的基盤」第1回研究会報告
今年度から始まった科研費による「精神医学の社会的基盤」研究会の第1回が、2016年7月5日(火)、東京大学駒場キャンパスにおいて開催された。初回である今回は「オープンダイアローグの思想的基盤(1)」として、野村直樹氏(名古屋市立大学)が「なぜベイトソンのダブルバインド理論はオープンダイアローグにとって大切か」と題する講演を行なった。
野村氏の講演は、ベイトソン『精神の生態学』所収の論文「精神分裂症の理論化に向けて」をテキストにセミナー形式で実施され、前半はダブルバインド理論の概観であった。ベイトソンは、文化を静的な図式として描写することを使命とした従来の文化人類学には関心を持たない。むしろ彼はサイバネティクスにおいて誕生した「関係性の言語」を用いて、動的な人間の精神病理を語ろうと試みる。関係性の言語は、デカルトが完成させた古代ギリシア起源の「個の言語」と対比され、異なる論理階型間の不連続性が破られるようなコミュニケーションについての考察を可能にしてくれる。患者と治療者との間で生ずるダブルバインドもその一例であり、ここからオープンダイアローグへ直結する道筋が開かれると言ってよい。
講演の後半では、特定質問者の山田理絵氏(東京大学大学院)による問題提起の後、それに答えながら野村氏はベイトソンの論文の内容により深く踏み込み、オープンダイアローグに対してダブルバインド理論が持つ意義を解説した。最も重要な洞察は、本論文を「母親原因説」として読むと、本論文の重要性は完全に見過ごされてしまうという点である。確かに現代の私たちには、子が分裂病(統合失調症)になったのは母親が悪いからである、と書いてあるように読めてしまうことは否定できない。こうした事情が、一部の療法家からベイトソンが疎まれる一因ともなっていよう。しかし野村氏によれば、本論文が発表された1956年当時、これを母親原因説として解釈した読者はいなかったという。そこに主眼は置かれておらず、母子関係の双方向性を日常生活の中へ落とし込んだ点こそが評価されるべきである。このような知的遺産を私たちは継承し、ダブルバインドを解消しようとするのではなく、治療に活用しようとするオープンダイアローグへつなげていくことができる。
最後の質疑応答では、多方面に話題が広がった。ダブルバインド理論およびオープンダイアローグと結びつくと思われるものとして、当事者研究、マインドフルネス、臨済宗の公案などが指摘され、参加者の関心を刺激した。
(報告:大内良介/東京大学大学院総合文化研究科修士課程)